私が会社を辞めた理由

ヲタクとは全く関係ないのですが、自分の備忘録として呆気なく終わった2年半の想いを綴ることにしました。

 

 

2018年8月31日をもって2年半働いていた職場を退職します。

本当はあと半年続けてボーナスと退職金併せて70万を貰い円満退社したかったです。退職を本格的に考え始めた4月末、「せっかくなら貰えるものは貰って辞めたい」その一心で何とか耐え頑張ってきました。

 

住宅手当2万、ボーナス4.5、退職金の率は手厚い(3年以上の勤務者のみ)、私の所属部署はシフトも比較的自由。私は新人教育月以外残業はほぼなく、残業しても残業代は全て申請可能。

 

これだけ見れば申し分ない。2年経つまではなかった。

 

入職当初、仕事内容は応募した際の希望部署とは真逆の部署へ配属になった。やりたいことでもなければ知識も用語もわからなかったが、業務内容は高卒レベルだったので大卒の私には簡単だった。簡単すぎて新人指導月以外はほぼ定時上がりできる程だった。(要領が悪い後輩は残業だらけだったw)

 

業務内容は簡単。待遇も申し分なかったから最初の1年はお局ババア2人からターゲットに悩まされたがなんとか仕事を続けることができた。

 

部署の人は皆、お局ババアにやられターゲットが新人へと移ることを知っていたから「もう面倒なことには巻き込まれたくない」という思いからか、愚痴は聞いてくれるけど、実際嫌味を言われた時は誰も助けてはくれなかった。主任(男性40代)は女々しく、自分の地位を守ることに精一杯で主任ですら何もしてくれない。私が入職して半年後に後輩が入ったが、なぜかターゲットは私留まりで周りからは気の毒に思われていたが何かしてくれるわけではない。そんな職場だった。

 

 仕事を続けられたのは、部署の方はお局ババアの悩みも聞いてくれるし、大事にならないよう考慮してくれていたし、シフトも自由だったから。

2月入社で来年の5月には「5月に兄貴の結婚式があるからそれまでは」と腹をくくり11ヶ月耐えていた。兄貴の誕生日までは「あと半年」。そう思っていたら2人いたお局ババアはの1人は系列へ出向になり私の負担は無くなった。もう1人は気がつけば11月にクビになっていたから、11ヶ月目で悩みの種だったお局ババアがいなくなったことにより、環境は最適になった。

 

それから1年は何とか過ごすことができたが、本当のことを言うと主任(男性40代)との関係も良好というわけではなかった。

年功序列で主任という立場になっているがあの人に「主任」をやる資格はない。私の入職当初から社内では話題になっている程だった。

 

女々しくて仕事は部下に押し付けて自分は早く帰るし、部署のレイアウトを変える際は自分のところだけ新品の机を入れ仕事をしやすい環境にしていて、私たちのスペースは前々から「こうして欲しい」と頼んでいたのに見向きもせず、結果変わっていない。そして新人の指導は部下へ押し付ける。「お前に任せる。」その一言だ。その後は見向きもしない。新人マニュアルの場所さえわからないだろう。そして部下がミスをすれば部下の意見は何一つ聞かない。本来、部下の意見を聞いた上で主任として叱りアドバイスするのが上司というものではないのだろうか。だから私たちは「はい。はい。」と言うことしかできない。口答えするようなら「はあ?」と倍返しの叱責を受ける。

要するに自分のことばかりで周りを見ようとしない。仕事ができなければ部下のことを考えない。地位を守るのに必死。こんな使えない人が未だ主任という立場を維持しているのか到底わからなかった。

 

後に聞くとこの主任と合わず退職する人も後を絶たなかったそうだ。社員は私が入社当時、主任8年目、20年目の女性、6年目のお局ババア、4年目の女性、1年半の女性、1年目の女性。何とも偏っている入職年数に驚いたが、この環境なら退職者が続出し入れ替わりが激しいのは無理もない。他部署からもそう言う目で見られていた。

 

 

お局ババアがいなくなった後はわりかし平凡だったが、前述で述べているように私は主任とうまくコミュニケーションが取れていなかった。直々の上司とソリが合わないと仕事はやりづらいことくらいはわかっていたので、直接的な関わりは少ないから無理に良好にしようとは思わず、あまり関わらないことを選んだ。お局ババアがいなくなってからの約1年間は先輩に仕事を教わりながら仕事をこなしていた。途中、後輩の指導で悩むことは多々あったが、主任に相談しても何も解決しないことは皆わかっていたので相談相手はいつも先輩方だった。

 

元々仕事の効率は良い方なので1年目は苦労したが慣れれば一人で2人分こなし、先輩の仕事も手伝い、定時退勤する日々だった。仕事能力は他部署からも認められる程だった。正直自分でも仕事はできる方だと思う。器用ではないから人の何倍も努力をすることでカバーしているからだ。メモは常に常備し自宅に帰りメモをまとめ、自分のマニュアルをインデックスをつけて持ち歩く。仕事中はインデックスを頼りにいち早く仕事をしようと心がけてきた。そうして自分の身にしていくのが私流だ。そして余裕が出てくれば一つのことをしていると同時に次に何をどうタスクをこなしていくか。常に効率を考えている。目配りと気配りもよくできる方だ。

 

自分の中ではこのスタンスが当たり前だったから、この職場に入りこれが当たり前ではないことを知り驚いた。ましてや、「入ってくる情報量が多すぎるんだよ」と長所を批判される程だった。ましてや見えないところでずっと仕事ができない後輩の分も業務をこなしてきたのにこの言い分は酷だった。そして、どんどん自分自身が職場の環境に支配されて、私の取り柄であった「自分らしさ」が無くなり、「無」の自分になっていることを徐々に感じていき、それがなんだか辛かった。「会社員は自分の意思を持ってはいけないのか」としみじみ感じていた。

 

 

こんな状態が続き、主任だけが気がかりだったのに、ついに職場環境自体に嫌気がさしてきたのが丁度2年経った時だった。

 

 

上司によるちょいとしたパワハラ勃発。

このような場所の雰囲気なので助けくれる人はいません。

 

1週間休みをもらったけど、その後さらにエスカレート。

 

内容書けよって話だけど今は面倒いから割愛(笑)まだ傷が癒えてないから書きたくないというのも本音。

まあ色々ありました。

管理職にも何度も相談してたけど、取り繕ってくれなかった。

 

 

私自身社会人、人間、人として欠けてるのもあったけれど、あの職場にも問題はある。それは他部署の人達がこれでもかというくらい同情してくれてずっと話を聞いてくれていたもん。

同情してくれてはいても、やはり皆10歳以上年上。今やめることのリスクを十分わかっているからこそ、私にあと半年我慢することを勧めていたのだろう。

その一方で簡単に辞める決断をできたのは、私がまだ二十代で独り身だからだ。これは若さと守る者がいない故にできたことで、今客観的に見れば甘すぎる考えだったと思う。

 

だからこそ、正直に言うとあと半年続けられなかった悔しさはあります。最初はストレスから解放されて時間もお金も自由になって「ウッホーーイ♡ノンストレス万歳♡」だったけど、2週間くらい経った頃からジワジワきた。無茶したかな、と思う。悔し涙もでた。うん。悔しい。続けてたら「3年続けられた!」と自分に自信がついてたと思う。

 

でも、あの状況のまま半年続けることが自分にとって100%正しいとは思えない。

あの頭痛とストレスに悩まされてながら生き地獄を半年続けることを想像しただけで吐きそう

。(その気持ちのまま冬のドームツアーまで周りたくなかったのもあるw)

 

「あと半年なら続けて貰えるもんはもらってその間に準備するのが1番」と考える人が殆どだと思います。

でも、あの状況を知るのは私しかいない。私の性格になり「同じ体験をしてみろ」と言いたい。ところだけど不可能なので周りの意見を受け入れることしかできない。精神的に追いやられる前まで幾度となく他部署の人たちに相談してきたけど、みんな「続ける」ことを言っていた。

しかし、結果精神的にやられ辞めることを選択した私。

 

どちらが正しかったのかは未だにわかりませんが、今私にできるのは「辞めてよかった」と思える人生にすることだと思う。悔しいと思ったその気持ちを覆す人生にする!

 

自分に負けず、快楽に負けず、

今を全力前進、全身全霊で生きる。

f:id:watashimotekitoo:20180824183121j:image